バザールとはペルシャ語で「ゲーム」(交渉)のあるところを意味する

文明の十字路 ウズベキスタン

   



2015年3月 no3

首都「タシケント」にあるオペラ座ナヴォイ劇場”は、この中の日本兵約250人の捕虜が 造ったものだ。 ..
. 中央アジアを代表するオペラ座ナヴォイ劇場”は日本人捕虜の強制 労働によって、
見事オペラ座を造り上げたという秘話
ナン(パンの1個50円)主食自宅で焼かずに買って食べる?
中央付近にはウズベキスタンしか載っていない地球儀のオブジェがあり、
その下には愛情を表す母子像が置かれています。
ウズベキスタンは1991年8月31日にソビエト連邦から独立し、それを記念して作られた広場が、
首都タシケントにある独立広場です。
ゲートの上に飾られている3羽の鳥のオブジェは、ウズベキスタンの国章にもある ↓、
↓中央付近にはウズベキスタンしか載っていない地球儀のオブジェがあり、その下には愛情を表す母子像が置かれています。
独立広場、第2次世界大戦で亡くなった人々の記念碑や大統領官邸のある広場を散策
写真は第4編の続き
コレラ流行の為に殆ど壊されたハウズ(泉)が生き残る1つである、その隣に、かってはイスラム教徒の巡礼の宿が有った
ハナカがあった、
今にも壊れそうなガス管が町中に配管
されていた
王様が2階よりプールで泳いでる女性を夜の共に使命したそうです

羨ましい・・・
都市ヒバにある宮殿。イチャンカラ(内城)と呼ばれる旧市街に位置する。
17世紀に建造 され、ヒバハン国の歴代ハンの居城となった。
イチャン・カラの景色
我が県人2名の名前が載っていました。

劇場が完成してから20年後…1966年に起きたタシュケント大地震市内では78000棟が倒壊する大惨事、
未曽有の大災害しかし、日本人が建設した建物は倒壊する事はなかったナヴォイ劇場は無傷だったため、
市民たちの避難場所として多くの命を救った

何か撮影中?
タケシントホテルの展望レストランで昼食
政府の建物がいっぱいあった
雨2時間で止む、歩いて散策
夜10時30分タケシント空港到着
20:45発ウルゲンチ(ビワ)→タケシント(22:15分着)
日干し煉瓦で作られた
ロシア時代贈られた馬車
メドレセ(神学校)のステージで踊る子供たち
午前中は凄い人ででした
メドレセ(神学校)のある広場
杏の花が咲き乱れてる
オーマイル・ホテル
デザート
男子会&女子会用のテーブル
水煙草の用具

ウズベキスタン共和国へ(ソビエト崩壊後に独立)団体旅行者全員で日本人墓地に線香を灯してお参りして来ました。その場所(墓地)には近所のウズベキスタン人が管理してくれてました、草一つ生えてませんでしよ~墓地にはソメイヨシノの桜が日本より早く3/25日に満開でした、お参り後何となく 胸がジーンときました・・・お参り後には帰国の為残っていた現地通貨を(お墓のお守り)さんに差し上げて来る、
その人(現地人)嬉しかったのか握手を求めてきました。

最初は17世紀に建てられましたが、イランの軍隊に破壊され、現在のものは19世紀の初めに
建てられたものです。二本の高い柱のあるテラスで、壁面は青いタイルで覆われ、天井は
、黒などキレイな幾何学模様で装飾された玉座の間になっています。
タケシントホテルのホテル近辺歩いて散策
写真額縁風に撮影
カメラ持ち込み代高かったな~
公園
シャシリク
姫&召使の部屋
王には姫を4人まで持つことが許される
ウルゲンチ(ビワ)夕食
現在の形状は18世紀のもので, 1920年にロシア赤軍により攻略されるまで,
歴代ブハラ・ハーンの居城であったということです
こちらの仏像が一番の逸品らしいです。
昔は、ドーム内で行われていたバザール、今は付近一帯で行われてる
地下鉄乗車1000シーム(50円で何処えでも乗れる、写真禁止(ホーム壁画で綺麗)

昔、ソビエト時代盗み撮りする、今回警備員やら警察が居て写せず・・・
首都タケシントホテルに来て始めてお湯が満足に出る、
ウズベキスタンの自転車大人用はノーブレーキでした、子供用はブレーキ付いてる
夕食の面料理
孔雀が我々を羽根を広げて迎えてくれる
1911年ブハラハン国の王様が夏の宮殿として使われる
ホテルの中庭とレストラン横のパーティーを開く場所
サマルカンドは、中央アジア、ウズベキスタンの古都
日本んの和室みたい!

夕食後帰国の為、タケシント空港へ向かう!!



 
no3編~4編写真   終り

姫&召使の部屋
王様の馬車?
アク・シェイフ・ババの見張り台 からの景色
雨で寒い日でした
ウズベキスタン歴史博物館
地元の住人はバザールで買い物
展示品のお米を鳥が食べてる
不衛生・・・
踊り子さんと記念撮影