no2   2008年3月                                                           
      憧れの パルミラ ペトラ   

    シリア
ヨルダン 13日間  

 
10ヶ所の世界遺産を訪れました。
       

(

水浴跡

ローマ式円形劇場正面

四面門

ローマ式の円形劇場
 (5000人収容)

古代都市パルミラは、シリアの首都ダマスカスの北東、約215kmのシリア砂漠の中にある。
ユーフラテス川流域からは南西へ約120km。シリア中央部を北東方向へ伸びる山脈の南麓に
位置する。北から流れるワジアブオベイド川と、西から流れるワジアイド川が形成した扇状地
あるオアシスに建設されていた。

パルミラのある東西方向の谷間は、地中海沿岸のシリアやフェニキアと、東のメソポタミア
ペルシャを結ぶ交易路となっており、パルミラはシリア砂漠を横断するキャラバンにとって非常
に重要な中継点であった

パルミラ遺跡(-いせき)は、シリア中央部のホムス県タドモル
(タドムル、)にあるローマ帝国支配時の都市遺跡。シリアを
代表する遺跡の1つでもある。1980年、ユネスコ世界遺産
(文化遺産)に登録された。ローマ様式の建造物が多数残っており、
ローマ式の円形劇場や、公共浴場、四面門が代表的。

ベル神殿、ベル神を祀っていた
パルミラの列柱道路。ローマの植民都市や軍営の都市計画で、東西に貫く通りはデクマヌス
呼ばれたが、中でも最も主となる大通り(都市軸)はデクマヌス・マクシムスと呼ばれた
列柱道路
まだパルミラが貴重品をすぐに持って逃げられるような、
遊牧民の宿営ほどの規模であったことを示す

セレウコス朝(せれうこすちょう、前312 - 前63)は、アレクサンドロス大王ディアドコイ(後継者)
の一人、セレウコス1世ニカトールオリエント地方に築いた王国。セレウコス朝シリアまたは、
シリア王国と表記される事もある。

パルミラのある東西方向の谷間は、地中海沿岸のシリアやフェニキアと、東のメソポタミア
ペルシャを結ぶ交易路となっており、パルミラはシリア砂漠を横断するキャラバンにとって非常に
重要な中継点であった。

パルミラの近くからは、約70000年前の旧石器時代の石器が発見されている。ユーフラテス河畔の
マリ遺跡で発掘された紀元前2000年代ごろの石版からもこの都市、またはと思われる記述が
見つかっている
外壁にはたくさんの穴が開いているが、これはオスマントルコ人が
石を接続する金具をとった跡である。
広場の中央には生贄を捧げた祭壇があり、その横には殺した動物の肉を食べた小屋の跡があった。
列柱道路の脇に元老院の跡がある。ここで4つの地域から選出された長老が統治するための
会議を行った。近くにはアゴラと呼ばれる広場がある。ここでは隊商がセリをして運んできた荷物を
売りさばいていた。4隅にはラクダの水飲み場がついている。ここから関税を納めたことを示す印が
見つかっている。

不思議、石と砂漠に湧き水が!?如何して
雨も少ないのに!!。

オーストラリアのエアーズロックにそっくりの山

遊牧民のテント??可愛そうな羊さん何食べているの。

遊牧民

昼食会場&トイレ

 ローレンスはアンマン攻撃に際し、遺跡の破壊を真剣に悩んでいます。自伝『知恵の七柱』では、
“という単語を使っており、かなり悩んでいた様子がうかがえます。実はローレンスはもともと
 考古学者だったので、遺跡の重要性は心の底から認識していたのです。
ローレンスはその後、植民地省のアラブ問題顧問になりますが、政府の帝国主義政策に疑問を感じ、
任します。 本人は、たしかにアラブの真の独立を夢見ていたのかも知れません。
しかし、結局のところ、ローレンスは政府に利用され、帝国主義の推進に一役買っただけでした。
アラブ世界でいまいち評価が低いのは、当然といえば当然な話です。

 

1935年5月19日)は、アラビアのロレンスとして知られているイギリス軍人考古学者
オスマン帝国(トルコ)に対するアラブ人の反乱(アラブ反乱)を支援し、その成功に貢献した。

至聖所の中の南北の壁には祭壇がある。南側の祭壇にはバール、土着の太陽の神アルヒボール、
月の神アグリボールの小さな像が祀られていたという。天井には太陽あるいは生命をデザインした
円が彫られている。18世紀にこのデザインがヨーロッパに伝わり大流行した。

修復中

パルミラは、シリア・アラブ共和国の中央部を占める広大なシリア砂漠の中央部に位置する
オアシス 都市で、紀元1世紀から3世紀にシルクロードの隊商都市として栄えました。
現在のパルミラ遺跡に は凱旋門、石造の列柱、神殿をはじめ、円形劇場、浴場等の跡が
残されており、かつての栄華の姿を 偲ぶことができます。

紀元前1世紀から3世紀までは、シルクロードの中継都市として発展。交易の関税により都市国家と
して繁栄。ローマの属州となったこともある。2世紀にペトラがローマに吸収されると、通商権を引き
継ぎ絶頂期に至った。この時期、パルミラにはローマ建築が立ち並び、アラム人の市民は、
東のペルシャ(パルティア)式と西のギリシャ・ローマ式の習慣や服装を同時に受容していた。


 主な建物

当日は少し風在って砂ぼこり立っていました。

ワディ・ラムは、ヨルダン南部に広がる赤い砂漠。アラビアのローレンスの舞台として知られる。砂漠の周囲の岩山は、2つの岩相からなる。下部のピンク色の岩は、先カンブリア代の花崗岩類。上部の層をなす赤茶色の岩は、古生代カンブリア紀の砂岩層である。

ぺトラからキングスハイウェイを南下した後、デザートハイウェイに入って更に南へ下った
サウジアラビアとの国境近くにワディ・ラムがある。ワディ・ラムは、映画『アラビアのロレンス』
でロレンス率いるラクダ隊がトルコ占領下のアカバへ進撃する砂漠そのままの光景。
ここをラクダの代わりに4WD車で若いベドウィンのドライバーがドリフトしたりカウンター
をあてたりして抜群の運転テクニックを披露しながら突っ走る。

ワディ・ラムと4WD
砂漠の砂の色が白、茶、赤と変化するのも面白い。
アラビアのロレンスで有名なヨルダンの砂漠地帯が登場である。

ロレンノ泉、古くからアラビア半島からヨルダンの向かう途中のキャラバンの貴重な
給水地点、何も無さそうな不毛の赤茶けた大地からしっかりと水が沸いている

ペトラ大遺跡入り口、そこのけソコノケお馬が通る。
動物の糞尿で臭かったです。

ペトラ遺跡:死海から約80km。死海とアカバ湾(紅海)の間にある
岩礁地帯の渓谷にあり、かつては交通の要衝・中継基地だった。

紀元前1200年頃からエドム人が住み着き、アラビア半島から移動してきた遊牧民ナバテア人は、
アラビア交易の要衝で税を課すことで儲け、やがてエドム人等を追い出す。紀元前6世紀〜前
1世紀頃に、死者の崇拝を行う神殿や雨水を排出するダム等をつくっている。ペトラとはギリシア語で「岩」。

昔の衣装でお迎え

石畳に馬車の輪跡

1,5kmの崖の谷間より  ど根性木!

入り口近くにある幾つ物のサイコロ型の建物は タジーン・ブロックといい、
古代ナバテア人の祀った霊が宿る、埋葬用の記念碑。

両脇には素焼きの官を通した上水システムの跡

シ−ク、高さ100mもの岩が水の浸水作用のよって出来た。

中東3大遺跡のひとつ(シリアのパルミラ、レバノンのバールベック)。遺跡は岩窟ものが多く、
精密な彫刻が残っているわけでもなく、砂岩のためかかなり風化している

エル・カズネ(宝物殿)

突然視界が
眩しくなり、
高さ40mの
巨大なバラ色
の建物が現れ
ました。

紀元前25年、ナバテア王アレタス4世によって建てられたと言われており、
構造は至ってシンプルでありつつも、その美しさに圧倒されてしまいます。
建物自体は神伝説や葬祭伝説など様々ですが、まだ謎に包まれています

色の付いた砂で絵を描く実演

サー
まもなく
見えて来ます

修復中

簡易トイレ鍵架かっていました

昔の遊びを実演

加治屋さんが刀をとんちとんちと遣っています

この木ピスタオ樹(ウルシ科)樹齢450年の野生

←ライオンのレーリフ

やはり中には何も無い

午後のエル・カズネ

カスル・エ・ビント 紀元前1世紀ごろに造られた高さ23mの建物はナバテヤの
                   主神ドゥシャラを祀っていたと推測されています。

光線の関係で午前中綺麗に見える。

空はコバルト色

ここからローマ時代の街並みにはいる。列柱通り、敷石で舗装
された長さ1,5km、幅6mの東西を走る通り。この後
800段の階段に幅狭い道路。

ここの遺跡のウリは、圧倒的な景観(高さ60〜90mもの絶壁)と、採光によって変化する薔薇色を
基調とした地層の美しさ。映画「インディジョーンズ 最後の聖戦」のロケ地で、聖杯が隠された神殿
として、 が登場する。

バラ渓谷: 切り立った岩は新宿の高層ビルより高い

刻々と色が変わる黄昏のカターバレー付近

シリア パルミラ遺跡 凱旋門  

カスル・エ・ビントより300m最終上段まで上がる。

1番頂上まだ登ってみる ヨルダンの国旗が風に靡く

客待ちの馬やロバ

同じ
道を帰り、
エル・カズネを写して帰る。

ホテルまでもう少し、頑張ろう。

国道でヒッチハイクの人たち

最終日、カトラナの街へ

ドライブ・インにてトイレ休憩

ガソリン・スタンド兼お土産屋さん。

クルーサ・アラム(8世紀)ヨルダンの首都アンマンのおよそ100kmに位置し・
古くからアンマンとイラク、サウジ・アラビアとを結ぶ隊商路上に出来たウマイヤド
時代の王を含む特権階級の為の娯楽施設。刈りやお風呂を楽しむ為の所。
内部のフレスコは楽園をイメージした華やかなもので、以降人物や動物を描く事
厳しく禁じたイスラム教にしては信じられない程活き活きとした人物の顔が描か
れていました。

長い長いシリア・ヨルダン隊商の道13日間ツアーの全工程も終わり 帰国へ
アンマン空港より ドバイで乗り換え、関西空港へ

ハラナ城から5分ほど走るとクセイル・アラムに到着した。クセイルとはキャッスルより小さい城を指し、
この城はカリフのアブ・ワリードがメッカに向かうときの休憩所として造られた。この小城は
レセプションホール、浴室、井戸の3つからなっていて、多数の壁画が残っているので世界遺産に
登録されている。
レセプションホールの壁や梁には多数の壁画が描かれている。この城は
ベドウィンが住んでいたため壁は真っ黒に煤けていたが、1971年から
73年にかけてスペインの調査隊が復元をした。

砂漠の道路を走る トラック輸送

1812年、探検家ブクハルト氏(スイス人)は、エブラハム・アブドゥというイスラーム名で
ペトラに入り、彼によってヨーロッパにペトラ遺跡の存在が知れ渡った。
遺跡の発掘作業は全体の約1%しか進んでいないとか。

ユーラシア旅行社のツアーに初めて参加して良かった事。
 
1、燃料サーチャージ、入国申請書類代行記入料、旅行代に含んでいる。
2、お土産屋さんへ、案内しない(連れて行かない)
3、移動中、バスの中で
お菓子や梅干配布あり。
4、食事前にはウエットテッシュウを配布あり。(醤油も持参している)
5、添乗員接客がとても良かった。
(他の旅行社で経験した事無い)
6、参加者の各自で自己紹介の時間を設ける。(名簿も発行)
7、集合写真を写して、帰国後送付あり。
8、絵葉書を
切手付きで、3枚配布有り。
10、トイレチップ一時立て替えてくれる。(最終日に支払う)
11、入室後
添乗員各部屋を廻って不都合ないか尋ねてくれる。
12、6日目、日本食恋しくなる中日に、素麺出してくれる、
美味しかった。
13、毎日の手作り、観光レポート配布。(翌日)
14、
オリジナルパスポート入れ配布。
15、便利なイヤホンサービス。
16, 毎日、ミネラルウオーター1本サビース。