roshia . mosukuwa                                                                       

      エ殿 

     サンクトペテルブルク

 2010年4月 NO3                                                                       

時差ボケで眠れずホテル近辺を散歩する

早朝6時ぐらい、寒いの寒いの気温0度位30分位でホテルへ帰る

右、写真25年前も同じホテル(パーク イン プルコフスカヤ)で宿泊

ホテルの部屋より近辺を撮影

モーニングコール7時に成っても鳴らず添乗員大謝り

エルミタージュ観光へGO!! 車窓より

ドイツのブランデンブルク門を真似て作る但し鉄骨で800トン使用

ネヴァ川近くにあるロストラ燈台柱 

             エルミタージュ美術館

旅行社のパンフレットにネヴァ川クルーズ入っていたのに4月に凍結だって?嘘付け!!   向こうに見えるのはエルミタージュです

エルミタージュ正面 10分おきに入場します

ロシアが世界に誇る超一流の物ばかり置かれてます。

サンクト・ペテルブルグにあるロシア最大の国立美術館。
あなたは「エルミタージュ美術館」の本当の魅力をわかっちゃいない!!
エルミタージュ美術館」はどんな絵画を展示してるのかな?
エルミタージュ美術館」はどんな歴史があるのかな?
エルミタージュ美術館」の魅力は、なんといってもその膨大なコレクションの数々!莫大な資産を誇ったロマノフ王朝がコレクションした貴重な美術品の数はおよそ300万点を超えるといわれています
世界の三大博物館と言われる大英博物館、ルーブル美術館、そして、このエルミタージュ美術館。美術品の収集といった点では同じなんですが、他の二つの博物館・美術館とは性質がかなり違っています。
第二にペテルブルクという都市の中心でもあることです。古代ヨーロッパでは、すべての道はローマに通ず、と言われます。サンクトペテルブルクでは、すべての道はネフスキー大通りに通ず、と言った感じです。そして、エルミタージュはそのネフスキー大通りの西の出発点です。
エルミタージュはもともとフランス語で「隠者の庵」、「隠れの間」を意味します。
現在のエルミタージュは5つの建物からから成っています。冬宮、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、劇場エルミタージュです。これらの建物は18世紀半ばから19世紀半ばにかけて約100年間かかって完成されました。
アンナ女帝(在位1730〜1740)とエリザベータ女帝(在位1741〜1762)時代
冬宮はアンナ女帝時代の1735年に建設を完了しました。さらに、エリザベータ女帝時代に、イタリア人ラストレリ(1700〜1771)の設計で1754〜1762年にかけてバロック様式に基づいて再建されました。ラストレリは1715年に父親に連れられてペテルブルクに来たことがあり、1730年に再度訪れてロシアの建築事業に携わることとなりました。ロシアの西欧化政策の流れのなかで彼はロシア建築に大きな影響を与えました。しかし、冬宮は1837年の火災で焼失しました。その後まもなく、ロシアの建築家スターソフ(1769〜1848)らによって内部を少し変更して復興されます
エルミタージュ美術館が誇るイタリア・ルネッサンス美術のコレクションのなかで
最も人気のある作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチ「ベヌアの聖母」
「リッタの聖母」である。「花を持つ聖母」ともいわれる「ベヌアの聖母」は、
レオナルドの初期の作品であり、ロシアの建築家ベヌアが所有していたものである。

「リッタの聖母」は、ミラノ公爵リッタのコレクションから入手したものである。
レオナルドの作品は20数点と非常に少ないこともあり、至宝中の至宝とされる。
レンブラント「ダナエ」は、エルミタージュ美術館の至宝のひとつである。
この作品は、1985年に、硫酸がかけられ、2ヶ所にナイフの傷を受けたが、
12年間に及ぶ入念な修復作業によって、今日再び私たちの前にその姿を現している。
フラッシュー禁止で何か分からず

ネヴァ川         何だけなー忘れた

今日はビール飲むか!! ビツの入ったボツレンチ

スズキのムニエル     アー馬車”陰になる”

ロシア独特の屋根    サンクトペテルブルグ市内へ                 戻る。   

ブランデンブルク門 真似た!!

ロシアは首都近辺しか高速道路無い 現在は通行料無料2〜3年後有料に!!

 第二次世界大戦を経てゴルバチョフが体制の危機を乗り
越える為にペレストロイカ(改革)の活動を展開したのが
1986年からの15年間だった。その間1989年にはベルリンの
壁が崩壊し旧ソ連が解体し、独立国家共同体であるロシア
になりエリツィン政権が1991年に誕生した。
豪華絢爛な“エカテリーナ宮殿” エカテリーナ2世(女帝)
ロマノフ王朝の中で、大帝と敬称で呼ばれているのは、ピョートル大帝とエカテリーナ2世で、彼女の在位は1762年〜96年。だからピョートル大帝の43年間に次ぐ長い在位です。1761年、ピョートル大帝の子、女帝エリザベーターが亡くなり、彼女が後継者と指名したのは、ピョートル大帝の孫で、ドイツ生まれのピョートル3世でした。

下、写真撮影代幾らだったかなー忘れた!!   琥珀の間

24時間時計            何だたかな!!

赤いじゅうたん引いてありました

一説によるとナチスドイツによって解体され持ち出されたとも言われているが、現在も行方は分かっていない。現在エスカテリーナ宮殿にはロシアが国家をあげて復旧したものであり、当時のものではない。復旧にあたりドイツが莫大な資金提供をしたと言われてる。
そんな豪華絢爛なお宝が第二次大戦後に行方不明になってしまったのだ。
それは世界七不思議の八番めとも言われているんだけど、ロシアの女帝エスカテリーナ宮殿の中にある一室で琥珀の間に使用された琥珀の総重量は6トン、約10万個とも言われている。

暖炉です      

サーカスが変更に成り、フォークロア ショーが始まるニコライ宮殿
1時間前に到着、良い席を確保する。

ショー待ち時間にウオッカーご馳走になる(無料)1人グラス一杯「私2杯飲む」

コザックダンスや歌などシャンパンとウオッカでお出迎え

夕食はサラダ&ビーフストロガヌフとマッシュポテト、ホテル到着は10時30分

第3章編終わり    第4章編お楽しみください。

サンクトペテルブルグのトラム

パークインプルコフスカヤホテル前を通過してニコライ宮殿にてフォークアロアショー見学

エカテリーナの庭園       エカテリーナ見取り図

新緑の時期だったら庭園綺麗だろうな〜

庭園を散策する

エカテリーナ宮殿の池

エカテリーナ宮殿をバックに

キラキラ、ピカピカの宮殿

宮殿内は広くて迷子になりそうでした

どの部屋もすばらしいの一言「琥珀の間は」特に素晴らしかったです

ピカピカの「エカテリーナ宮殿」と庭園

庭を散歩する

エカチェリーナ2世(エカチェリーナ2世アレクセーエヴナ、ロシア語: Екатерина II Алексеевна, ラテン文字転写: Yekaterina II Alekseyevna1729年4月21日グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))は、ロマノフ朝第8代ロシア女帝(在位:1762年7月9日 - 1796年11月17日)。夫はピョートル3世

ドイツの小さな公家の娘として生まれたエカテリーナは、1745年に、女帝エリザベータの甥のロシア皇太子ホルシュタイン大公ピョートルと結婚。賢明で野心的でもあったエカテリーナはすぐにロシア文化を身につけ、宮廷内に支持者を獲得した