アマルフィ海岸 「サレルノの宿泊」

2011年6月 NO2

アマルフィ海岸では映画で有名!

アマルフィの町へ

南イタリアで一番有名な(ポンペイの遺跡)

一晩で此の山の噴火で喪失される(一大都市)

ヴェスヴィオ火山の噴火で埋没

ポンペイ最後の日

世界遺産ポンペイの入り口

イタリア南部、西暦79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火で埋没。18世紀半ば以来の発掘により、
       当時の建造物生活様式、美術工芸などを知る史跡となった。

トーレエルグレコホテルのプール風強く泳がず

早朝付近の海岸を散歩する

アドリア海か?ティレニア海か?分かりません!

ポンペイはローマ帝国時代栄えた都市で、劇場、神殿、公衆浴場、商店などが居並んでいた。
水道や舗装道路なども整備されており、ローマ人の保養地として別荘もできた。

その後、降り続ける火山灰が積もり積もって、街を埋もれさせた。そのため、死者は死んだままの姿で
灰の中に埋もれ、肉体が朽ちた後もその空洞は残った。
また、建物の屋根は灰の重みで落ちたが、建物そのものは灰のお陰で倒れることなく残ったものが多かった。
埋もれた街は人々から忘れ去られ、1630年間眠り続けることになる。
本格的に発掘されだしたのは1748年から。ナポリ王国により行われたが
19世紀半ばのポンペイ発掘調査の指揮にあたったフィオレルリは、肉体が朽ちた後に残った
空洞に石膏を流し込み、固まったところを掘り起こすという手法を考案した。
火山爆発の危険性が知られていなかった当時のこと、留まって被害にあった者も多かった。
死者は約2000人から1万人以上とされている。
マリーナ門という門から、街の中に入る。海に向かっているところからこの名が付けられたそうだ。
門は2つのアーチに分かれており、一つは歩行者用、もう一つは荷馬車など動物が
通過するためのものとして利用されていたという。
舗装された道路や歩道などは当時のままである。馬車は中央の車道、歩行者は左右の歩道を
通るよう分けられており、雨が降っても冠水しないよう、歩道はやや高く造ってある。

オーリブ畑 レモン畑も一杯ありました                    小麦の刈り取り後

日中オーリブ畑で畑仕事をしてる人と全然見掛けず、イタリア人は何時働のだろう!

現地のパートカーです

若い子を盗み撮り

イタリアの高校生?

自由時間を若い女性を・・・

ポンペイ遺跡入り口付近

早朝ホテルの海岸付近を散策

イタリア到着後3日間風強い、その後風止む

海水浴場小石で歩くと痛かったです

シーフードリゾット?昼食                          グラス一杯のビール(3ユーロ高い)

日本と違ってビール持ってくるの遅い、日本だったらビールが先に来るが外国は反対

昼食会場

バスごとフェリーに乗って、シチリア島へ、待つ事約1時間日曜日で混んでました

フェリー乗り場へ向かいます

シチリア島へ乗船約30分間の航行です

フェリー船内の模様

ポンペイの生活が目の前に

私は、ポンペイは2度目ですが今回は違ったところ廻りました、なにせ広い事

ベスピオ山の大噴火によって、一瞬にして奪われてしまいます。逃げ遅れた人々は吹きつけた
高熱のガスで窒息死し、その上に灰が降り積もりました。

ポンペイ遺跡は、はかない人間の宿命を物語る世界遺産でもあるのです。この先 墓地の印

ゼウス神殿跡。この神殿の建立は紀元前6世紀まで遡ると言われている。
ゼウスはギリシャ神話の最高神で、ポンペイの守護神。

2泊目のグランドホテルサレル

朝の歩行運動を兼ねてホテル近辺を散歩

海岸へ下りて見る                              海岸清掃車

歩道よりレンタルビーチ望む

6月イタリアは冬至まだで朝5:30分頃 明るくなる

広いホテルで私の部屋まで遠かった

ビール5ユーロ(小瓶)高い                      イタリア名物色んなパスターを食べる

アマルフィ海岸をクルーズ

クルーズ船付近3頭泳いでいました

イタリア人のバカンス時期(1ヶ月有る)子供たちは3ヶ月の夏休み

日本語で書いてあったので、写真写す、日本語勉強中?



何年もの月日をかけて堀り作られた洞窟住居






第3章編へ続く          

 

世界遺産 ポンペイ観光

一人の農夫が偶然にも壷を掘り起こした。それがきっかけで街そのものが発見されることになるが、
門は2つのアーチに分かれており、一つは歩行者用、もう一つは荷馬車など動物が
通過するためのものとして利用されていたという。
マリーナ門という門から、街の中に入る。海に向かっているところからこの名が付けられたそうだ。
壁に縁に施された飾りが朽ちかけているため、プラスティックで覆って保護していた。
精巧で繊細な、美しい彫刻である。

ソレント半島、アマルフィ海岸

最も大きな町がアマルフィ。降り注ぐ太陽と白い町並みがまぶしい高級リゾート地である。
町の中心には千年の歴史をほこる大聖堂、アマルフィ大聖堂がある。

レモンを畑で育て、坂の下まで人の手と足で大切に運ばれる。

ある日突然、彼女が死んでしまう。それを嘆いたヘラクレスはこの世でもっとも美しい土地に彼女を葬り、
街を切り開いて彼女の名を付けた(アマフィル)とされる。

グラス一杯のビール(4ユーロ)

パスターにチーズかけて食べる美味しかったです、皆、何処に売ってるんだろうと言ってました

デザート                                  昼食会場

不思議体験」「イタリアの悪魔と呼ばれる洞窟住居郡

サッシ(岩壁を意味するサッソの複数形)とは、洞窟住居のことである。
グラヴィナ渓谷は石灰岩の侵食により造成され、渓谷にはこのサッシが何層にも重なって 存在している。
このサッシがいつ頃から作られたかは不明だが、8世紀から13世紀と言われている...
マテーラの住居群
内部の気温は、一般に洞窟がある外部の平均気温になり、内部は外部と較べると夏は涼しく・
冬は暖かい。また地中であることも含め、一般に湿度が高い。
洞窟住居は何百年も暮らせる経済的で耐久性に富んだ家です。洞窟住居が密集するマテーラには、
何世紀にもわたり人の暮らしが折り重なり、独自の文化を育みました。
修道士は130もの洞窟の聖堂を掘り、ビザンツ様式のフレスコ画で内部の壁面を飾りました。その後、
聖堂の周りに農民が移り住み、町へと発展しました。
イスラム勢力の迫害から逃れたキリスト教の修道士が、新石器時代から使われていた
洞窟に移り住んだのが始まりと言われています。
イタリア政府が住民を強制的に移住させ、貴重な文化遺産の保護に乗り出しました。
外観は普通の石造りの家に見えるが、中に入ると窓が殆ど無い洞窟の住居が増えていった。

火山の熱風で屋根の部分が燃えて外壁部分が残った

79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって 地中に埋もれた。18世紀に発掘が開始され。...
ポンペイのフォルム

アマルフィのドルオーも近く