聖なるガンジス河
          
            インド世界遺産紀行

     
 神聖なるオーラ漂う 
 
 未知なるインド・ガンジス河の魅力に迫る


2009年10月  
NO1

インド地図

成田空港離陸後30分で関西空港上空(関空が玩具箱みたいです)

成田の出国前のVIPラウンジ              南回り如何してもシベリア                      上空より南周りは偏西風強い為、到着時間掛かる。

成田発午前中の便は、私にとっては前泊になる。行きはジャンボ機で空いていました、日中の便に付き窓際を予約する3席を1人でした。

機内食を完食したの初めてでした、日本発のJALで日本で調理したの美味しかった。

チベットのカトマンズ山です。客室乗務員に聞いたら機長より案内在りますとのこと、機内後部へ移動して写す。

この女性はチベット人で国へ帰る所、日本語ペラペラで私に声を掛けてくる。男性はインド人で4人で国へ帰る所(不況で)を色々話する。

インド上空光化学スモックで御覧のとうりです・・・

インド空港内撮影禁止を盗み撮り

インドらしい写真

インド製のバスは運転席の横にエンジン有りお客さんに騒音や熱が当たらない様に運転席と客室が仕切ってありました。又、スーツケースは後部に積み込む。

現地人を盗み撮り

インドに到着時首飾りを掛けられる、記念写真を撮って首飾りの花を処分する。

3泊目のペナレスクラークホテル、夜遅く到着シャワー出ず、お湯も出ず・・・風呂は要らず。

野生の小さいリスが所々に一杯居ました。

クトゥブ・ミナル複合建築群中央アジアと地中海周辺地域の大型建築の構造部材には大きな違いがあった。 ... しかし、焼成煉瓦建築には石ほどの耐久性はなくとも加工性に富む長所を活かした自由奔放なデザインと、建物の内・外に溢れるカラータイルを駆使した色彩美に溢れ、

火葬場

火葬場の煙突、臭かったです。

赤い城壁で有名なラール・キーラに向かって歩き始めた。 ... ラール・キーラ通称レッド・フォート. ここは必ず夕方に来るべきだ。" 壁が赤く燃えている" ... ラール・キーラーはなんだかとっても柱が素敵で印象に残ってる。

オート人力車が一杯

インド門

インド門. インド門(India Gate)は、インドのデリーにある慰霊碑。 第一次世界大戦 ... 東西に伸びるラージパト通り(Rajpath)により東端のインド門と西端の大統領官邸が結ばれている
ラクシュミー・ナラヤン寺院. 大理石と赤砂岩のヒンズー寺院. ナラヤンと妃ラクシュミーを中心とした ... 元はヒンドゥ寺院だったが. 1119年に戦勝記念として塔が建設. チャンドラヴァルマンの鉄柱 ... ヒンドゥ寺院などを破壊して造られた. 細かーーい彫刻の柱. 1本1本本当に細かいのです ...

フマーユーン廟は、インドデリーにある、ムガル皇帝フマーユーンの廟。その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えた。フマーユーン廟は、フマーユーンの死後の1562年、ペルシア出身の王妃ハミーダ・バーヌー・ベーガムが建築を指示し、伝えられるところによれば、サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンと父ミラーク・ギヤートゥッディーン二人の建築家によって8年の歳月を経て完成された。

 フマユーン廟はデリー・インド門の東「プラーナー・キラー」(古い城)からマトゥラー・ロードを南の方へ入り進んだところにあります。庭園のなかに廟を置く型式をとるこの建物は、フマユーンの妃が1565年に建設。ペルシア人設計による典型的なイラン・イスラーム建築です。中央のドームから左右対称の同廟は、入口のアーチから見たとき、その安定感がいっそう際立ちます。また赤っぽい砂岩に白大理石をはめ込んだ壁はお互いの色をよりいっそう引き立てて美しいです。建物内部の中央に進むと、白大理石の墓が置かれていますが、これはイミテーションです。ちょうどこの真下に遺体が安置されています。

チャハルバーグ (四分庭園) の一隅
もともと四分庭園には 「楽園の思想」 がこめられていて、中東の砂漠地帯で生まれたイスラーム教にとって、塀で囲まれ、日陰と水が豊富にある庭園は天上の楽園の写しだったのである
1565年、ムガル帝国の王妃ハージ・ベグムは非運のうちに死んだ夫のために帝国で最大にして壮麗な廟をヤムナー河の近くに建設することを命じた。

実際はもっと鮮やかな赤い砂岩だよ。

クトゥブ・ミナール
複合建築群
クトゥブ・ミナール複群
クトゥブ・ミナール
複合建築群

香辛料                                 昼食会場

ビール240ルーピ(約480円)

本場のカーレ

雨が少ないから持ってる

インド市民

 人 人 12億人?市民       人力車とオート人力車

オールド・デリー

インドの若者                          市内風景

インドの寝台列車(2等車)でペナレス駅へ(12時間15分)・・・遅れて14時間30分掛かる。

列車の洗面場                ビニールシートの上にシーツを引いて毛布1枚

写真で見ると一見綺麗に見れるが、汚い列車でした。私のベットに夜中(インド人)がガサガサと
何事か・・・上のベットの仲間が私をお越し何か変と・・・其処へインド人が現れ、私のベットの上の
コンセントに携帯を充電してる、何せ言葉が通じず・・・ギャラップと言ったら携帯と充電器を外して
立ち去る。思え場きっと列車荒しと思われる!!、何も被害無くて良かった〜・・・


(上のベットの iさんはナイフでも持ってたら殺される所だったと言ってました)

日本の戦後の列車と一緒、汚物垂れ流しゴミだらけ・・・

一応は(インドでは)エアコン付きのファストカーです
一度目はポ−ターと交渉決裂、10m歩いて再交渉
(別の)ポーターと纏まる、頭の上にスーツケース乗せて
汗一つかいてませんでした
(気温33度)

ペナレス駅のタクシーターミナル いやー当地ではオート人力車です

オート人力車は新車で35万円するそうです。

頭の上にスーツケース2個約40kg平気で!!

ホテルのドアーボーイ立派な鼻ひげでした     遅い遅い朝食

お坊さんと信者!!合掌していました        街には牛と犬が一杯 猫は一匹も居ません

インドの町の風景

ガンジス河の死に水を入れるて持ち帰るペットボトルを販売

本当に賑やかな法要でした(1番真ん中のお坊さん)

7人のお坊さんがお経を上げる(賑やかな法要)
朝と夕方行われるそうです

サイクル人力車で(40分間)に乗ってガンジス河へ  《長かった》
     お尻痛くなる    臭いの完全防備

ガンジス河周辺に沢山の乞食が一杯いました

ムルガンドウ・クティ寺院

デリー : クトゥブ・ミナール複合建築群

早朝4:30分起床してボートに乗ってガンジス河の沐浴見学、思ったより火葬場の臭いしませんでした

ガンジス河の日の入りです

沐浴の準備している人々

沐浴風景

所々で沐浴準備

早朝(5:00)のガンジス川

本当は火葬場写真が残るから不可、ガンジス川は聖なる川で
遺骨や遺品を全て流す為、
(残る物不可)

聖なる川で、洗濯している人が沢山居ました(本当は駄目な行為)

左写真は、日本人の女性がホテルを経営し(久美子の家)大儲けしたそうです

田舎から(何教だったかな)ホテルに泊まって沐浴  女性ばっかりの軍団!!

このボートに宿泊して沐浴することも出来る

左、洗濯板で洗濯

一家で沐浴か!!

古井戸5~6mの深さ

昔、懐かしい手漕ぎポンプ

黄金観光寺観光

インドを縮めて表して有り

インドの朝市風景市

黄金寺


情報
1、火葬はゆうかりの木で火葬すると、臭いが少ないそうです。
2、南インド人が食物を指で掴んで食べる、北インド人はフォーク、スプーンで食べる。
3、インドの都会では子供を生むの1人で良いと多く成ってる。
4、インドの田舎は子供の兄弟5〜6人が当たりまえ。
5、高速道路は極1部だけ稼動してます。
7、街中はオートリキシャー、オートバイ、自動車のクラクショウ音うるさい。
8.ヒンドウ教は(土葬)墓造れない、そうです。
9、インド農業は地産自消で行ってる。

10、
インド空港は他空港と違って出国時ライタ1個も許可なら無い。
11, トイレチップは0,5ルピー(約10円)但し10ルピー出してもお釣り来ない。
12、WCの際は必ずテッシュウペーパを御用意下さい。


第2章編につづく

ドゥルガー寺院

インドは寺院に入る時靴と靴下抜く所殆んど

病気が(下痢や腹痛)怖く(心配)て殆んど食べない
ツーアの仲間で3〜4人下痢する。

インドは今まで訪問した国で1番汚い国だった

天井を写す

修復中の寺一杯ありました
クトゥプ・ミナル門と鉄柱  イスラーム・モスクの境内に、ヒンドゥ教の鉄柱が残されている。鉄柱は4世紀に鍛造された高さ 7.2メール、
1600年以上経っても腐食していないそうだ。鉄の純度が高いとの説があるもさだかではない。


ムルガントゥ・クティ寺院
仏陀が成道後最初の説法を行った、ダメーク・ストゥーパ
仏陀が初めて説法を説いたと言われる聖地
仏陀が座して成道を成した、(所謂悟りを開かれた) と言われる菩提樹の下にある、金剛宝座
デリー市に有る世界遺産の二つ目の 「クトゥブ・ミナール記念塔」 です
12世紀に北インドを制圧したイスラーム王朝が「イスラームの勝利」を誇示するために建てたものである。

1泊目のデリーアショッカカントリーリゾート

インド到着

左、変わった木でしょう

インドデリーにある慰霊碑第一次世界大戦で戦死した兵士(約8万5千人)を追悼するために造られた。高さ42mのアーチには、第一次大戦で戦死したインド人兵士の名が刻まれている。東西に伸びるラージパト通り(Rajpath)により東端のインド門と西端の大統領官邸が結ばれている。永遠の火という火が灯されている。
17世紀にヤムナー河にムガール帝国五代皇帝 シャー・ジャハーンが築いた城塞である。ラール・キラ(レッド・フォート) とは城壁と門が赤砂岩でできているためにつけられた俗称で、当時の正式名はシャージャハーナバードであった。城塞は1639年に建設が開始され、1648年にアーグラから遷都した。今は敷地の大部分を軍が占拠しているが、かってはそこに城内町があった。西のラホール門と南のデリー門はいずれも城門建築の傑作であって、屋上のチャトリ(小停)群がインドらしさを演出している。また公謁殿(ディワーニ・アーム)と内謁殿(ディワーニ・ハース)をはじめとする宮殿群は矩形の平屋で、細部は完成されたムガール様式を示している。また1662年にシャー・ジャハーンの宮廷礼拝堂であったモティ・マスジド(真珠モスク)は、全て白大理石によるバロック様式風の建築になっている。このほかに城内北東に優雅な四分庭園があって、宮殿内部に水路を引き込み、床は白大理石を敷いている。

ラール・キラから500mほどのところに、 同じくシャー・ジャハーンが1658年に建てたインド最大のモスク、 ジャーミ・マスジド(金曜モスク)がある。 高さ9mの丘の上に建ち、 三方に大階段を備える。 2本のミナレットは高さ39mにもなる。 中庭の西、 メッカの方角には、 白大理石と赤砂岩のファサードと3つのドームをもつ礼拝堂があるが、 礼拝堂とそれに連なるべきアーケードが切り離され独立しており、 これはインドとアラブの民族性の違いを示すといわれている。