no1  エジプト EGYPT  

 カイロギザ ルクソール
アブ・
シンベル シナイ半島

地中海のリゾート地(アレキサンドリア)

2007年7月 
今年3度目の海外旅行
(1月ベトナム、3月南アフリカ、7月エジプト)です。

寝台列車 ナイルエキスプレス (1等寝台) にて列車の旅へ!!     
又、カイロ発アレキサンドリア(往復)へも列車で、バス移動は
大変で今回は楽しみでした。

1、エジプトにおきまして、搭乗税、サービス料,出国税 ¥5000円
2、エジプト航空、燃料ザーチャージ料として。       ¥14500円
3、エジプト入国のさい、査証(ビザ)代としてUSドル15 ¥1800円(約)
4、オプション観光(3ヶ所) 
                  ¥21000円
5、一人部屋追加料金(8泊)                  ¥35000円
6、基本料金                           ¥159800円
7、関空施設使用料                        ¥2650円
8, JR往復                             ¥18080円
9, エジプト考古学博物館特別入場料             ¥2000円
10,遅延のホテル代                       \10000円          

小計¥269、830円
                               

関西空港のラウンジにて

関空の喫煙室

1時間50分遅で
離陸!!

出国検査で焼酎を
見つかり
没収される


(07年4月より機内に液体類の
持ち込み100mlを超えては没収)

雲の上は晴天

機内食は牛丼と日本そばです

長い長い飛行を終えて
カイロ到着

疲れを取る間も無く
国内線に乗り継ぎ
ルクソールへ

日本時間早朝6時
現地夜中の12時
(時差マイナス6時間)

ルクソールの
ホテル一人部屋

エジプトはほとんど
交差点に信号機は
在りません
交通渋滞の激しい
交差点では手信号で
警官がやっていました

時差ボケで午前3時に
到着殆んど眠れず
ホテルの庭園を散歩

ホテルのベランダにて

このバスで観光へ
現地ガイドの
モハメットさん

灼熱の国に
緑が一杯でした

メムノンの巨像

高さ21mの巨大な一対の座像

気温45度
アツイ、暑い

顔の部分は
キリストの
信者に破壊
されたと!!
話していました
(イスラム教)

王家の谷

日本の援助で
発掘された?
と書いて在るのでは

ナイル川をはさんで
西岸と東岸に分か
れております

ナイル川は
6670km
続いています

メムノンの巨像から北へ
8kmほど行った峡谷に
ある新王国時代の歴代
の王の墓群

日本と違って湿気が
無いから保存状態が
良いのでは

みんな地下のレリーフ
です

綺麗に色彩が
在りました

ハトシェプスト女王
葬祭殿


岩盤の斜面を利用
して造られている
古代エジプト建築の
傑作のひとつ

ハトシェブストは古代エジプト
において、自らをファオラと名乗り
男性と称して王位についた
最初の女王。約20年間にわたり
平和交易外交を行ったが、死後
トトメス3世によって彼女の肖像
や名前を抹消された。

壁面には交易の様子や
神々の姿などが、今も
美しい姿のままで
残されている

生者と死者が
隣り合う町

牛のレリーフが
綺麗に残って
います

なぜ東岸に町として
の機能が集中し、
西岸に多くの遺跡
が残っているのか?
これは太陽がナイル川
を朱に染めて西の彼方
に没し、翌朝、東から昇る
ことに由来している。
古来から太陽は死と復活
の象徴とされていた。
したがって日が昇る東岸
を「正者の都」,西岸を「者
の都」、とし、王たちは復を
信じて嵐涼とした石灰の
岩山が続く峡谷に墓をった

 

王家の谷はエル=クルン山を
ピラミッドと見立ててその麓に
墓を作ったと考えられています

メルエンプタハ王墓前からラムセス1世王墓方に
撮ったものです。右下がツタンカーメン、中央左が
休憩所になっています。正面の山を越えると
ハトシェプスト女王の葬祭殿があります

昼食

ビール瓶と缶ビール
値段一緒でした
馬鹿みたい!!
ビール6ドル(約750円)
高い

王家の谷に隣接する、新王国時代の
第18王朝期のファラオ、
ハトシェプト女王(B・C1498−1483)の
葬祭殿。ここで数年前、ゲリラの襲撃により、
日本人観光客 も大惨事に巻き込まれたことは、
記憶に新しい。

セトナクト王によって造営が開始されたが途中で放棄された。その後、その息子ラムセス三世が完成し、結局は彼の王墓となった。

カルナック宮殿

出迎えスフィンクス

スフィンクスの像が並ぶ
参道によってカルナック
神殿と結ばれてる

入口から入って最初に目にするオベリスクとラムセス像、その後ろにある塔門が、ルクソール神殿最大の見どころ。巨大なラムセス2世像、ヒッタイトとエジプトの戦争「カデシュの戦い」を描いたレリーフ、本来対で並んでいたオベリスクの片割れなど(もう片方は、現在パリのコンコルド広場にある)。

たいたい神殿の前半分がラムセス2世、
後ろ半分がアメンホテプ3世によって
作られている。ツタンカーメンの時代に
彫られた「オペト祭」のレリーフもおもしろい。

アメンヘテブ3世に
よって建設された

カルナック・アメン大神殿の
付属神殿として建てられ、
かっては3kmものスフインクス
参道で結ばれた。

敷地内にはラムセス2世の
中庭アメンヘテブ
3世の中庭、
アレキサンダー大王の間
などがあり
壁にはリレーフや象形
文字んなどが
刻まれていて見所は多い。

天を指すかのようにそる
オペリスク。25mと言ば
現代のビルの6階建ても
相当する高さ。

柱のレりーフ
が綺麗でした

第1塔門と第1中庭
幅113m、高さ43m
という第1塔門は
エジプトげ最大規模
を誇る。この塔門まで
導くのが左右に40体
並ぶ羊の頭を持つ
スフィンクス。


ルクソールの空は”砂漠のオアシは
こんな所を謂うのかと思わせる爽やかさがある。(但し暑いことに変わりはないが)

有料トイレ
10ポンド(約23円)
如何しても我々には
トイレチップの習慣が
無い為 気になる!!

我々観光客を
警護する警察官ですトイレ休憩場だけで20〜30人位待機していました

エジプトの
列車です
チョット見たら
綺麗ですが
止まってみたら
相当オンボロ

ムバラク大統領
後2〜3年の任期
だそうです

畑仕事は
男性の家族で
女性は畑は
勿論の事
絶対に手伝い
し無いそうです
又、一人も見か
けませんでした

町の喫茶店の
水タバコ道具

背景はラムセス二世像。奥が
アメンホテプ三世の列柱廊

神殿中庭から
列柱室を望む。

背景はラムセス二世像。
奥がアメンホテプ三世の列柱廊

ルクソールを訪れる最の
楽しみは、このスフィンス
群を見る事にあった。

列柱室とトトメス1世の
オベリスクが見える。
歴代の王が、戦勝祈願、

宗教というのは、人の不安をあおり、
寄進を強要し、祈願し、結果良ければ
神の御かげ、悪ければ寄進不足が
原因と追加要求、、と何時の世も、
何れの地でも世渡りがうまいものである。

カルナック神殿の拡大、すなわちアメン神の神官達の権力増大、横暴で、王権にまで干渉するに至り、

ナイル川より
水を引いた


この神殿は天井近く
まで砂に埋まって
いた為、保存状態が
かなり良いと評判だ。

上の写真は修復前の外壁


右の写真は修復後の外壁

塔門はカルナック神殿に次ぐ大きさだが、
塔門裏のカルトゥーシュには名前が入って
いない。 建設途中で王が亡くなってしまった
のか?削り取られたのか?初めから
書く気がなかったのか?・・は、
不明とのことだった。

エドフ

ホルス神(隼)

若いお姉さんたちに囲まれて 幸せ一杯

エジプトに入って
初めて女性が働
いているの見て!
さっそく記念写真
をお願いしたら
気持ちよく了解
してくれました

エドフのレストラン

アルコール類無い
ノンアルコールは有り

コーラ、ジュース類
20ポンド(約460円)
水(大)10ポンド(約230円)
   

昼食

毎回ご米飯は出るが不味い

ホテルのベランダより

付近を撮影

ベランダにて

オートシャターで

袋状のパンに
色々挟んで食べる

船に石を運んで
ナイル川の修復中

レリーフ

観光客用の
馬車

古代の神々

灼熱の陽光が
西の彼方に
沈めば満天の星
命の水ナイル川と
荒涼たる砂漠
古代エジプト人
にとって厳しい
自然こそ、生死を
司る神の化身だった

ナイル川の
クルーズ船

夕食後閉鎖後の
プールへ行ってみる
私が水泳後の気温
45度、水温28度

夕食後の
レストランより
ナイル川一望

ナイル川セイリング後の
レストラン、エジプトで
食事一番美味しかった

コーカコーラ
20ポンド(約460円)

ナイル川
セイリング後
現地の歌で皆さん踊りだす

手拍子で乗ってます

石の切り出し跡

私たちのセイリングボート
に歌って寄ってくる
チップを渡す

私がセイリング
ボートを
操舵する

泳いだ後
プールサイドで
飲んだビール
一本ビックリ
$19ドル
(約2375円)

今回8泊の
ホテルに
全部プール
在り良かった

午前中すでに
気温41度
水温26度

今年3度海外旅行
海水着持って行って
正解だった

アスワンのホテルと
プールサイド

アスワン観光
カイロの南899km、
ナイル川の
東流域にあります。

切りかけの
オペリクス



最初に石に穴をあけ
木材を打ち込み
木を水で湿らせて
膨張で石を割った
そうです

石を切り出してから
機械の無い時代に
よくぞ運びでしたものだ

アスワンは、1年を通して太陽が輝き、乾燥していることが特徴で、暖かい気候に恵まれています。都会の雑踏から遠く離れた静寂な魅力あふれる自然に囲まれております

アスワン周辺はピラミッドや神殿・
像に使われた多くの花崗岩の産地で、
ナイルの増水時に船で各地に運ば
れました。この切りかけのオベリスクは
製作中にひびが入ってしまったので
そのまま放置されましたが、
もし完成していれば現存する
オベリスクの中では最大のものとなります。
暑いなか階段を上って
いくと製作途中で放置されたオベリスクが
現れます。オベリスクは切り出す
大きさに溝を作り、そこにくさび
を打ち込んだといわれていますが
、その制作跡が
残っています。帰りは来た道を戻るか、
先に進んで上のほうからぐるっと
遠回りして行けます。 

アブシンベル観光へ

午前11時に集合場所へ
集まって警官のパトロールカー
を先頭に20数台引き連れて
270km先へ
灼熱の砂漠を走行します

アスワンホテル

洗面所

ダブルベット
ゆっくり!?
時差ボケで
良く眠れず

コム・オンボ神殿


普通の神殿は建物の
中央に通路が
1本あるだけですが、
この神殿は二人の神が
祀られているため、
入口や通路が左右二つ
ずつあります。

ホルス神殿


外壁にはレリーフや
碑文が
びっしり刻まれている。

コム・オンボ神殿


神殿全体が二重構造に
なっている。左半分はホルス
神、別名「タカの姿をした神
ハロエリス」が、右半分は
ワニの神のソベク神が
祭神として祀られています

コム・オンボ神殿


ワニのミイラ2体が
展示されています。

エドフにあるホルス神殿の第1塔門

ホルス神殿
第1列柱室の前にあるホルス
神像(高さ3mの黒大理石)

神殿全体が二重構造になっている。左半分はホルス神、
別名「タカの姿をした神ハロエリス」が、右半分は
ワニの神のソベク神が祭神として祀られています。

形式的な・・・
危険物ないか
車体の下を
鏡で集まった
大型バスや
マクロスバス
全車点検!!

砂漠の蜃気楼です
写真では見難いが
綺麗に出ていました

この写真少し
見えます
上の方海に
見えます
本当は砂漠
一面です

蜃気楼は
海面に見えて島の
影も見えました

町から町の間270Km
中間地点にGSスタド
(砂漠の真ん中)

砂漠を走行中は
おそらく気温50度
位に!?バスの
エアコンが効き悪く
成りました。
オーバヒートもせずに
無事到着しました。

遅い昼食
午後2時
です

生水を飲まなくても
下痢症状数人出る
ヤッパリ火を通して
いても、水で洗う為
好くないのでは!!

このトイレは低いが
殆んど高い
つま先を立てて
使用していました

午後2時30分
暑い時間の
観光をひかえて
4時まで休憩
私はプールへ

日本と違って
エジプトの
プールの水深
深いこと2,4m
浅い処で1,5m

人造池

(ナイル川)

アブ シンベル
ネフェタリホテル

アブ シンベルのホテル

アブシンべル神殿(エジプト)
 
アブシンベル神殿は、ヌビア地方まで支配下に
入れたラムセス2世(在位BC1361〜1237)が、
ヌビア人や近隣諸国にエジプトの強大さを誇示
するために建造したと考えられる巨大建造物群の
一つ。この貴重な遺跡が、1960年から始まった
アスワンハイダムの建設でナセル湖に沈んで
しまうということで、ユネスコによる遺跡救済事業が
実施された。神殿はブロックに切り分けられ、
もとの場所から64m上へ引き上げられたそうだが、
離れて見ると、建造された当時からここに
あったとしか思われぬくらいうまく組み立ててある。
なお、アブシンベルには大神殿と妃ネフェルタリに
贈られた小神殿が並ぶ。

大神殿の入口の左右には、20mもあるラムセス2世像が4体も鎮座しており、その巨大さに圧倒される。神殿内部は大列柱室で、ここにもラムセス2世像が8体も並んでおり、また壁のレリーフも見もので、ラムセス2世のカデシュでのヒッタイトとの戦いを描いたものもある。



概要・歴史

砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿である。建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。 大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としている(小神殿は最愛の王妃ネフェルタリのために建造されたものでもある)。

建設後、長い年月の内に砂に埋もれていたが、1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見され、1817年にブルクハルトの知人であったイタリア人探検家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって出入り口が発掘された。

1960年代、ナイル川アスワン・ハイ・ダムの建設計画により、水没の危機にあったが、ユネスコによって、国際的な救済活動が行われた。1964年から1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方の丘に移築された。このことが、世界遺産の創設のきっかけとなった。アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡で、世界文化遺産に登録されている。

この神殿では、年に2回神殿の奥まで日の光が届き、神殿の奥の4神を明るく照らす。これを、一目見ようと多くの観光客がその日に訪れる(場所を移した際にもともとの日から、1日ずれてしまったが)。ラムセス2世の生まれた日と、王に即位した日にこの現象が起こる。このことからも、古代エジプト文明の優れた技術が分かる。

本来、ここにあるべきオベリスクが、
 世界各地にあります。パリ(コンコルド広場)、
 ワシントン等。現地ガイドは”盗まれた”
 と表現していました。

ステラビールのラベル