クロアチア

          ボスニア・

               ヘルツェゴビナ

豊冨な観光資源に恵まれたアドリア海沿岸の諸国。
陽光溢れるアドリア海、エメラルド色に輝く湖、オレンジ色の瓦屋根の町並みや中世の面影が残る世界遺・・・鮮やかな色彩のコントラストが織りなす。まるで1枚の絵画のような美景。

2009年7月 NO3

<ドゥブロヴニク旧市街(The old city - Dubrovnik)>

クロアチアで最も美しいと言われる街。この街を囲む城壁によって7世紀以降に築かれた街のあらゆる建造物はほぼ完全に保存されている。
特にこの街のメインストリート、宮殿、St Vlaho教会、
大聖堂、3つの大修道院、カスタムオフィスそしてシティ・ホールは、訪問者を中世の時代にタイムトリップ
させること間違いなし。歴史を感じさせる中世の建物、石畳、街を縦横に走る狭い路地、城壁から眺める
青く澄んだ海と赤いレンガの屋根。こんな光景は何時間見ていても飽きることはない。
人々は親切で、街は自由で陽気な雰囲気を漂わせている。


クロアチアは石灰岩の岩だらけ大きな樹木はありません

アドリア海の入江 「絵になりますね〜

トイレ休憩時ドライブインで買ったウオーター1,5リッタで7,5クーナ(約150円)

どうですアドリア海の海の色〜いい色でしょう

クロアチアの高速道路の料金場

クロアチアの墓地

羊の丸焼き

昼食のマス料理

昔の田起し機

↑犬の水飲場

山火事あと(自然現象で)

歴史的に見ると塩田を巡って戦争が繰り広げられ、塩を運ぶ道は秘密にされました。

下、塩田の隠す塀(万里の長城みたい!!)

ドブロヴニクが見えてきました。

有料トイレ(約40円)

ボスニアの海水浴場
此処一箇所しか無いそうです。

歴史的に見ると塩田を巡って戦争が繰り広げられ、塩を運ぶ道は秘密にされました。海水から塩を分離する作業と、海水を精製して清浄な飲用水にする作業は、ともに海を大切にしてきた人々の歴史と深いつながりがあります。

右、写真白い線の部分が塩田を隠す塀

アドリア海

この入口は、クロアチアの中世美術の傑作と言われています。

ウーン何の店!!

アドリア海に浮かぶ美しい街『プリモステン』
(トロギールからシベニクへ向かう途中で)

トロギールの街
城壁には金,銀、銅、鉄と四つの門がある。中でも東側の門付近には露店が軒を並べいつも賑わいが絶えない。ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックなどの混在は栄枯盛衰の証人。  
聖ドムニウス大聖堂 7 世紀にスラブ人などの攻撃を受け、町と宮殿は廃墟となったが、人々は宮殿の石材を巧みに利用して町を復興した。霊廟はロマネスク様式の聖ドムニウス大聖堂に、神殿は洗礼堂に改造され、現在、宮殿遺跡として城壁や列柱廊が残る。

他だ、一番困ったことは、クロアチアで犬のフンの臭い事(観光地)

ドックフードを遣らずに

人間の食べ物をやっているのか すごい臭いが臭いし水分一杯のフンが

路上に一杯有りました。(団体の中で34人踏む)

クロアチア人は家の中でフン指せず、歩道や道路で

指せるそうです。「日本ではフンを持ち帰りましょうですが)クロアチアでは

そんな汚いもの家へ持ち帰ってどうするの・・・と言う考えだそうです・・・

 

歩いて城壁を1周出来る、階段コースと平坦コースが在ります。

地ビール小瓶「1,5クーナ」(約300円)

トイレ事情

昔、ドゥブロヴニクは地中海の小さな海運通商国家で、80以上の都市に領事部を置き、ヴェネツィアに匹敵する700隻の商船を保有していました。

温暖な地中海の魅力に包まれたスプリトは、豊かな歴史が香っていますが、それは何も博物館や宮殿や教会の中だけでなく、古代ローマからずっと、外の列柱広場や石造屋敷などにも染み付いているのです。

古代ローマやヴェネツィアの遺産を思わせるのに対し、半島の内陸部は中欧の雰囲気が漂っています。

海の中は御覧の様に石、岩とても裸足で歩けない(皆、石灰岩です)

早朝ホテル近辺の海岸を散歩

クロアチア側のアドリア海

ホテルの部屋より撮影

何のアート・・・!!

時計塔。
トロギール旧市街は島のようになっていますが、
実際は本土との間にある運河はこのくらい細いです。

金の門を出ると正面にグレゴリー大司教の銅像が立っています。
 この銅像の足(親指)にさわると願いが叶うとのことで、
ぴかぴかに光っていました。
 銅像の左手には高い鐘楼が建っており、さらに西隣には聖ベルナール教会・
聖エラフェラミア教会の遺跡(基礎部分)があります。

宮殿の1階部分には大聖堂(元霊廟)がありますが、この大聖堂の入り口には、聖ドミニウスと聖アナスタシウス、キリストの生涯を描いた扉があります。
 また、エジプトのルクソールから運ばれた12体のスフィンクス(現在は4体)があります。
 大聖堂の前には、ジュピター神殿(後に洗礼堂)があります。
 南門から北へ向かう通りは「カルドー」と呼ばれますが、カルドーの北には「金の門」があります。

また、3世紀から4世紀にローマの皇帝であったディオクレティアヌス帝
の胸像もありました。ディオクレティアヌス帝は、キリスト教を迫害した
そうですが、サローナ生まれで退位後はこの宮殿に住んだとのことです。

また、エジプトのルクソールから運ばれた12体のスフィンクス(現在は4体)があります。
銅像の左手には高い鐘楼が建っており、さらに西隣には聖ベルナール教会・聖エラフェラミア教会の遺跡(基礎部分)があります。
ボスニア・ヘルツェゴビナのバカンス用の貸家が、一杯ありました。
又、立派な家が一杯建っていました。

アドリア海のボスニア・ヘルツェゴビナの街

ボスニア・ヘルツェゴビナ側よりクロアチアを撮影

町の人々

シベニクの聖ヤコブ大聖堂(クロアチア語Katedrala sv. Jakova英語:Cathedral of St. James, ?ibenik)はクロアチアシベニクにあるカトリック大聖堂であり、シベニク司教座がおかれている。大聖堂は2000年ユネスコ世界遺産に登録された。

シベニクのシンボル的存在、そして世界遺産にも認定された聖ヤコブ大聖堂はシベニクの海岸沿いの通りに面して建っている。

何処の国旗!!

クロアチア共和国(東ヨーロッパ) ・・・・  隣接する国は西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア 、 南はアドリア海に面し飛び地のドゥブロヴニクではモンテネグロと接している。  ・・・・・ 1991年にそれまで連邦を構成していた旧ユーゴスラビア から独立したが、
セルビア人保護を目的にクロアチアに侵入前面衝突となり多くの死者と難民を生出し1995年戦闘が終結
ディオクレティアヌス宮殿はスプリトの市域を区切るものであった
CDを売るために演奏する人
宮殿入り口の騎士(撮影代\約800円)

ティオクレティアス宮殿の壁は
ローマ皇帝ディオクレティアヌスが建てた宮殿跡です
自らの意志で退位した皇帝が退位後に住んだ宮殿で
その後数百年の歳月が流れ、
すっかり廃墟と化した宮殿内に人々が住み着き
現在に至る世界遺産です。.

手前が宮殿跡後方が現在の住宅

手前が宮殿跡後方が現在の住宅

クロアチアの海水浴場

シーフード料理    有料トイレ2クーナ(約40円)

日本はビールが先に来るが外国は料理が先

ボスニア・ヘルツェゴビナの町

マス料理小さい

地ビール小瓶22クーナ(約500円)

2連泊のインポータンヌレゾートネプチューンホテル

ボニア・ヘルツェゴビナ対岸はクロアチア(クロアチアの国旗)

下、石灰岩の岩の山、川らしき川殆んどない。

アドリア海はルーム貝は有ったが牡蠣貝は海水の関係で小さい

ドブロヴニク入り口

ボスニア・ヘルツェゴビナ ネウムの街

ネウム(Neum)は、ボスニア・ヘルツェゴビナアドリア海沿岸に位置する人口4300人ほどの町。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県に所属。この地域がボスニア・ヘルツェゴビナ唯一の海に面した部分であるが、国全体をまかなうような大きな港があるわけではない。 海岸線に対して両側をクロアチアに接し、住民もクロアチア人が主体である。

古井戸飲み水現地人ペットボトルに入れてました。
自由行動後の集合場所です。

ネクタイ発祥の地クロアチアよりこだわりの逸品をお届けします! ... それがフランスの粋な御婦人達の目に留まり、そのファッションはやがてイギリス、アメリカへと伝わり、現在のネクタイとなりました。 英語を除くヨーロッパの言葉ではネクタイ ...

寝坊しちゃった!!急いで準備中

城壁を歩いて渡る料金表20クーナ(約1000円)

歩いて城壁を1周出来る、階段コースと平坦コースが在ります。

観光船で対岸の島を1周する

気が若いね〜そんな所へ登って!! だって横に若い子観てるもん?

ドブロヴニクのホテルのプールにて

海で泳がず岩だらけれ

こんな所にパラソル張って商売してる。 日本では絶対許可ならない

ドブロヴニクの砲台

山の頂上にキリストの像あり夜に成るとライトアップされる

赤瓦が特徴的な旧市街

マイ・フェア・レディなどで有名な英国のかの劇作家バーナードショウが「ドブロブニクを見ずして天国を語ることなかれ」と言い、さらに旧市街に入る門に、「自由はお金では購えない」と書かれていることは、欧州であまりにも有名である。
注目すべきは、対外的に独立、中立を一貫して守り、一切、自分から他国に戦争を仕掛けず、他方、あらゆる外部からの攻撃を外交や水際でかわしてきたことである。ドブロブニクは海運、商業、観光などで経済力を蓄えた。その底力で世界に冠たる小さいが秀逸な都市国家をハード、ソフトそしてハートの3つの面で構築し、現在に至っている点である。

アドリア海沿岸の小さな街ドブロブニクは、アドリア海の宝石とも呼ばれ、15〜16世紀ヴェネチアと並ぶ貿易都市として栄えた歴史を持ちます。旧市街を取り囲む全長約2キロの城壁は遊歩道となっており、
そこからはアドリア海とオレンジ色の瓦屋根の美しい風景を眺めることができます。
1991年からの独立戦争で旧市街もかなりの被害を受けましたが、修復が進みかつての面影を取り戻しつつあります。

砲弾の跡残ってます  右、も同じ

ビニールハウスで野菜を作ってます    クロアチアで川を見たの初めて             

ウン〜何の意味

クロアチアで初めて農地見た

右、写真民家の砲弾跡

右、写真ボスニア・ヘルツェゴビナで初めてナンを食べる
(パン)
モスタルスタリ・モスト。ボスニア・ヘルツェゴビナの代表的なオスマン建築のひとつ(再建された橋)

左建物は監視塔   右建物牢獄

モスタル(Mostar)はボスニア・ヘルツェゴビナ南部にある都市。ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県の県都でもある。ヘルツェゴビナ地方の中心都市。市内をネレトヴァ川が流れている。

ボスニア内戦
1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言を行うと、モスタルはユーゴスラビア連邦軍の攻撃を受けた。ボスニア人とクロアチア人は町の防衛を行い、ユーゴスラビア連邦軍やセルビア人勢力は町の周辺から砲撃を行った。後にボスニア人とクロアチア人との間で戦闘が始まると、状況はさらに悲惨なものとなった。モスタルの象徴であったネレトバ川にかかる橋であるスタリ・モストもこの時期に破壊された。

下、写真帰りも岩塩の山撮影     ボスニアのドライ                        ブインにて

大型クルーズ船寄航してます。

ドブロヴニクの2連泊ホテル

ボスニア・ヘルツェゴビナのトイレ休憩バスで一杯

何だったかな?有名 忘れた!!

何度も言いますが~アドリア海は綺麗でした

サラエボ空港   右機材でイスタンブールへ

サラエボ市内      サラエボ空港施設

サラエボのトラム        サラエボ市内

ボスニア・ヘルツェゴビナ最後の景色

ボスニア・ヘルツェゴビナ墓地

ネレトヴァ

レストランの洗面台

モスタル市内

機内では白ワイン                食事不味くて食べず

サラエボ発⇒イスタンブール(飛行時間約1:30分)

イスタンブール発⇒関空(飛行時間約11:15分)

南回りの為(遠周り)時間掛かる。
お疲れさん


ベネチア、スロバキア、クロアチア、
ボスニア・ヘルツェゴビナ編 
完結

←万里頂上観たいに壁になってる

爆破されたこの橋、日本人の女性が設計?したそうです。

サラエボ郊外

地ビール飽きてハイネイケーン注文したら小瓶(約900円)高い!!

24時間時計と説明!?